先日、護津家当主である護津乾一(もりつけんいち)様がご来島になりました。
護津家といえば数々の著名な考古学者や民俗学者を輩出している名家ですね。そんな著名な方がなぜ竹取島にご来島なさったかと申しますと、以前取り上げさせていただいた『口承竹信仰より抄出』を寄贈頂いたご縁もありますが、実はそれ以前からこの島と護津家の交流はあったのです……。しかし長くなるので今回は割愛させて頂きます。
ご来島なさったときの島の様子と乾一さまのご様子を少し。
竹取島へ来るのにはまずは本州で漁師に頼み船を出してもらわなければなりません。そして、異様に漂流させられやすい竹取島の手前にある小さな島に引っかかってしまうと1日予定がずれ込むことになります……。今回は乾一さまも引っかかってしまったようで、興味深そうにあの島について語ってらっしゃいました。正直な話、竹取島にはおよそ全てのものが揃っているので外に出る必要がほぼありません。なのであまりあの島に行く羽目になったことはあまりないのですが、あれほど何も無い島は少ないのではないでしょうか。どうにも不気味な島だ、と豪快に乾一さまは笑ってらっしゃいましたが、もはやあの島は不気味どころではないと私は思います。みなさまももしご来島なさる際はお気をつけくださいませ……。
何はともあれ、1日遅れで乾一さまはご来島なさいました。
着いて早々にお気になさるのが祠のことでしたのでお変わりない様子に私ども一同、ほっと致しました。祠の管理はお供え物をするだけなのだと以前申し上げた記憶がございますので、本当か確かめたのかもしれません。もしくは、何が祀られているのか気になり探ってみていたのかもしれません。未だに護津家のお力をもってしても資料が一切でてこないのは、かなり珍しいことでございますのでご興味がそそられるのでしょう。
なんとなく、暴かない方がいいような予感が致しますが、黙っておくことに致します。
今回は純粋に研究を進めることを目的にいらしたそうなので、このあとのご予定は存じ上げておりません。宿泊は長めにご予約頂いていましたので、長くて1週間滞在なさるのではないかと思います。
お帰りになる前に一度、乾一さまからお話を伺いたいと思っています。無事伺えるといいのですが……。
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