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  • 執筆者の写真夢乃庵

資料・口承竹信仰より抄出

更新日:2020年8月14日

口承竹信仰より抄出

作者未詳・護津家より寄贈


……いにしへより竹の都なる南西の島に竹神の話ありと聞きて行けば、老翁つぶさに島の伝承について語りつ。


今は昔、人、竹山の麓に村を作りてそこに住まふ。山中にのみ竹ありて、村民野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事に使いけり。竹いみじう繁りて民を潤せど、頻りに地滑り起こりて民これに死す。村民、これをもって荒御魂とし、竹神とて祀りけむ。

……桓武の御世に竹取を業とする下臈あり。名をば讃岐造となむ言ひける。日夜山に入りて竹を取り、竹神厚く祀りたれば、地滑りやがてやみ下臈いみじう富めり。ある日の昼つかた、竹取の翁山に入りたれば、和御霊いとうつくしき人なむかづけたまひける。翁、清らなる人をばなよ竹のかぐやと呼ぶ。

……されど、竹取の翁勢ひ猛きものとなり清らなる人ねむごろに養ふほどに竹取の業おろそかになりぬ。竹神怒りてすさまじき風吹かせたまひ、天人具して翁の前にあらはれたり。かぐや、天人の奉りし御薬わずかにきこし召せばやがて失せたまひぬ。あとには御薬なる茸のみ残りたり。

……茸とくとく竹より出で、遍く山中にあり。竹いよいよ繁りて島をおほふ。茸喰へば上も下も、人も獣も忽ちものに襲わるる心地して血を吐きてはかなくなりぬ。されば村民日毎に山に入り茸をとり竹を切るべし。かくてこの島、たけとり島となむなりける。



新訳口承竹神信仰より抄出

漆間陽悠


……古くより竹の名産地として知られている南西の島に竹神の噂があると聞いて行ってみると、老人が詳細に伝承について語ってくれた。


かつて祖先は竹山の麓に村を築いてそこに定住した。この頃は山の中にのみ竹があり、村民は入山しては竹を切り、日々の暮らしにこれを用いた。竹は切っても切ってもすぐに生え、村民の暮らしに大いに役立ったが、代わりに大規模な地滑りを頻繁に起こし、何人もの命が失われた。庶民はこの地滑りを竹神の怒りと考え、荒御魂を鎮めるために塚を立て祭祀を行なった。

……桓武天皇の治世の時代に竹取を生業とする下男がいた。名前を讃岐造という、昼夜問わず竹山に入って竹を切り、竹神を手厚く祀り上げるうちに地滑りの被害は少なくなり、讃岐造は長者となった。ある日の昼、讃岐造が入山すると、和御魂が可愛らしい子を褒美にくれた。彼はこの麗しい娘に「なよ竹のかぐや」と名付けた。

……しかし、讃岐造が村での権力を増し、かぐやの養育に執心すると本業の竹取が疎かになってしまった。竹神は怒り狂ってゾッとするような風を吹かせ、天人を連れて讃岐造の前へ現れた。かぐやは天人の持ってきた薬を口に含むと忽ち死んでしまい後には薬である茸だけが残った。

……茸はあっという間に竹から生え、竹は島全土に広がった。茸を食べた生き物はなんであっても、直ちに血を吹いて死んでしまう。そのため、村民は毎日竹を切り、茸を抜く必要があった。これが、この島が「たけとり島」と呼ばれるようになった所以である。



この資料について


寄贈いただいた資料と、その新訳でございます。とても興味深い資料であり、さらにあの考古学で有名な護津家からの寄贈とのことからこの島に残る伝説の中ではかなり有名なものです。

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